2020-10-26

⚠担降りブログなどの類が嫌いな人は読まないでください😊
完全に自己満記事です




岩橋担降ります。


2012年、ジャニーズJr.の真実という番組をみてから玄樹くんのことを気にするようになりました。


当時元担にズルズル気持ちを引きずってしまい、何年も担降りせずにいましたが


2015年の春のクリエが発表されて、
Aの括りの6人をみて、完全に決意しました。

岩橋玄樹担になり、たくさん現場に行きました。

EXに通う夏。
過去イチの良番が当たって
ステージから2列目の玄樹くんゼロ位置に行けた。
当時の治安はもうめちゃくちゃで、(今もかもしれないが)
四方八方からカンペを持つ手が伸びてきて視界が遮られて、
とにかく必死に目で玄樹くんを追いかけることだけに集中してた。
そんな公演の最後のほうに、
目線でカンペの波をかき分けて、ただピンクのペンラを持って突っ立っていただけの私に手を振ってくれたことは一生忘れない。

そんなお花満開の話は置いておいて、



とにかく本当に毎日幸せでした。
心から玄樹くんのファンになって良かった、と常に思ってました。


2015年の冬の帝劇にPrinceはいなくて、
3人3人に分かれて、Princeの扱いにモヤモヤした日もあったけど、
それでもわたしは6人が大好きで、キンプリ6人をずっと願っていました。
少数派だったけどね!


2017年の夏のEXシアター。
Prince単独公演。

人生で今まで入ったコンサートの中で1番素敵な空間にいました。

公演内容はもちろん、
EXなのに、スタンディングなのに、ジュニアの現場なのに、めちゃくちゃ客席が平和で温かい。
びっくりした。
まさかジュニア担やっててこんな空気吸えると思ってなかった。

間違いなく、Prince3人の想いと努力がファンに届いて、通じ合っていたからです。




キンプリ6人に思い入れはあったものの、
PrinceがPrinceであってくれるならもうそれでいいと思い始めていた頃かもしれない。

そんな中の
2018年1月17日。
この日は一生忘れられないなー
番協、華麗に外れたけど!!!
家でひとりで声あげて泣いて喜んだ。



CDTV卒業スペシャルで
はじめてシンデレラガールのパフォーマンスを見て、またいっぱい泣いた。
ジュニア卒業というゴールでもありデビューというスタートでもある。
それがこんなに素敵な曲で迎えられる喜びと嬉しさで、わたしは世界一の幸せ者かもしれないと思った。


そんな浮かれた日々の中で
時々、ん?と思うことが何回かあった。
やっと口にして直接「大好きです」と伝えることができたハイタッチ会。
大好きな玄樹くんは、私がいつもみている玄樹くんとは少し雰囲気が違ったような気がした。



シンデレラガールを披露する歌番組。
少し悲しんでいるのか、疲れているのか、緊張しているのか。
わからなかったけど、いままでみてきた玄樹くんとは違って見えた。
ダンスに力が入っていなくて、
そんな玄樹くんを見るのがはじめててだいぶ戸惑った。


だんだん顔付きが変わっていく玄樹くんにどんな言葉をおくればいいのかわからなかった。

表立っては言えなかったけど、
リア友数人としか繋がっていないツイ垢で、
どうしたら自信持ってもらえるかなぁ。
玄樹くんが1番だよ。
とかいろいろ。まあ、的外れで何が言いたいんだかというぼやきばっかりつぶやいた。



まぁ、ただの杞憂だよなと自分に思い込ませながら日が経って、
そんな中のROTだった。
「他の5人のメンバーを輝かせて」


正直言うと、ムカついた。
初めて玄樹くんに対して怒りの感情を持った。


何言ってんの?
ファンのこと馬鹿にしてる?

とか、正直思ってた。


言わなかったけど。
この現実を認めたくなかったし、
本心じゃないだろって、玄樹くんから出た言葉を死ぬほど否定したかった。



そして玄樹くんは休養に入った。
いろいろな言葉が行き交う中、
わたしは玄樹くんが会報に残してくれた言葉だけを信じた。
「またすぐ会おうね!」





それから2年が経ちました。

この間に私自身の現実というのは、
かかっていた病気が悪化して、大学を留年した。
なんとか卒業したものの、
すぐに就職は出来ず、ニートを経験。
どう頑張っても健康とは言えない本調子じゃないまま、無理して就活をしてやっとの思いで今の仕事に就きました。
(あとストレスで2年で10キロ太った)

これが自担がいない期間の私です。
いま大殺界だから!となんとか気を持ち過ごしてました。


今は
病気も治り、仕事にも慣れてきて、大殺界も終わり、
やっと病気にかかる前の本来の自分に戻れた気がしている、というかちゃんと客観的に考えて自分に向き合えるようになりました。



それでも
やっぱり心にぽっかり穴は空いたまま。
玄樹くんはまだ帰ってこない。



「ずっと待ってるね」



玄樹くんに掛ける言葉は
この言葉しか許されない風潮。



本当は、
なんで戻ってこないの?
1日でも早く帰ってきて!


って言いたかった。


どうでもいい私自身のことを書いたのは、
玄樹くんと似た経験をしたということ。
もちろん玄樹くんが頑張って戦ってる病気のこともちゃんと勉強した。
ということはわかってほしいから。



それでも、自分から出てくる感情はワガママで、勝手なものばかり。



メンバーは何回も玄樹くんの名前を出しているし、


2ndツアーのKPQPでピンクのペンライトで染まる会場、それがすべて。



そうわかってはいても、

例のうんこ週刊誌や、
目に入ってくる、面と向かって直接言われる、負の言葉は心をえぐってきた。


「いまさら戻ってきても〜」
「5人のほうがバランス良い」
「岩橋くんってやめたよね?」


まともな意見じゃないし、心がない。


勝利くんの歌詞にもあるように、

1000回の好きよりも1回の嫌いが脳裏に浮かび消えないんだ



しかも否定的な人ほど声がとても大きい。



新しいリリースが発表されて、
ほんの少しの淡い期待を持ってしまう。
ジャケ写が解禁され、勝手に落ち込む。



紅白もカウコンも
デビューしてはじめては
6人が見たかった



ファーストコンでやった曲は大好きになったのに
玄樹くんを待たずにどんどん音源化されていく。


仕方ないとはわかってはいても、


今回の6枚目で
BANGINが入ってないことに荒れている人を見かけたときに、限界を迎えてしまった。
わたしはめちゃくちゃほっとしたのに。



6人のキンプリを見たことがないファンが増えてきた。
5人っていう響きを聞くだけでゾワッとする。



どっかの某金髪ブ○タ野郎に名前出されて間違った病気の解釈を本に書かれた。



大賞5連覇って幻でした?



ZIPも結構いっぱい出てたんだけどな




いままで玄樹くんがバックについてたとか関係なく、ずっと何年も応援していたのに、
聡ちゃんが戻ってきて5人で幸せそうにして、たくさんの人に祝福されているセクゾに対して嫉妬の感情を持ってしまって見れなくなった。




グループに決まった仕事を素直に心から喜べない。




おそらくこれは異常な状態で。


もう疲れた。



昔からジャニーズという栄養を摂取して息をしているので、この2年間も変わらずキンプリやジュニアの現場にもお邪魔してて、
そうして過ごしてるうちに、玄樹くんくらいに好きになれる子が出来たら良いのになって考えてた。
楽になりたいという一心で。




もし、万が一、世界が狂って、
帰ってこないっていう世界線がきてしまったら
息出来る自信がない。




だから、とても勝手だけど
辛すぎて耐えられないので
自分のために岩橋担降ります。


というか休みます。
玄樹くんのことも、神ちゃんも、岸くんも、廉くんも、海ちゃんも紫耀くんも、
6人みんなのことが大好きだし、L&もすごく楽しかったし、これからも変わらず応援し続けるけど、
岩橋担というオタクの肩書きだけそっと降ろさせてください。


玄樹くんが戻ってきたときにまた落ち着いて考えられたらなって。
それまで、他の子の担当して幸せになりたいです。



所詮、わたしはただのアイドルオタクで、
好きなアイドルに私の人生まで押し付けたらダメ。
そろそろいい歳だし…





岩橋玄樹くん



ちゃんと待てなくて本当にごめんなさい。
いままでたくさん愛をくれたのに。
素敵な景色を見せてくれたのに、
言い訳しか出てこなくてごめんなさい。

たくさん手紙を書いて、
夢中で毎月のように現場に入って、
デビューを見届けることができて、
本当に幸せでした!


もう十分頑張ってると思うけど、
頑張ってね。



いままで本当にありがとう

おたく


書くの久しぶりだな〜
別にたくさん書くことを目標にしていたわけではないのだけど。


なんとなく今の状況を語りたくなったから書いておこう。
記憶がまだ残っている12月から。
年末にまとめを書くわけでもなく、
年始に目標を書くわけでもなく、
2月に入って書くという、自分のこういうところがものすごく嫌いです。
別に病んでるわけでもないのだけど、
ヒトとしてちゃんとしたいって強く思うようになった今日この頃。


12月からは、



ジャニワ行って

エイト行って

PASSPO☆行って

カウコン行って

成人式行って

PASSPO☆行って



…そんな1ヶ月だった。

うん、見事にオタク。ただのオタク。
クリスマスは夜に友達が泊まりに来ただけでした。
成人式で中学の同窓会に行ったけど特に何事もなく帰ってきました。
そんなこんなでいつの間にかハタチ迎えてました。



このままじゃダメだ、、、
絶対将来死ぬとき後悔する、、、



この2ヶ月、レポートをいくつ書いたのだろう。
レポート書くかアイドル見るかだけの生活嫌すぎる。
オタク幸せだけど!幸せなんだけど、もっと自分もキラキラしたい。
別にジャニーズになりたいってわけじゃないんです。まず性別違う。
人間としてキラキラしたい。自分に価値を見出したいって思った。


どこの現場も超楽しくて、
やっぱり私はオタク辞められないんだなーって複雑な感情になって。



ジャニワ最高だった。
ミルキーウェイで意識飛びそうになった。なんだこの美しすぎる世界。

もちろん自担がいないのは悲しかった。降りてからずっーと、玄樹くんが帝劇でキラキラしているところを見れることを楽しみにして生きていたのに。
初日の幕が上がる前からいないのは確定してて、だから1回しか入らない予定だったけど、ハイハイハーイ聴きながら、あーもっと入りたいなってなってた自分が悔しい。(結局忙しくて行けなかったけど)
公演中、何回もここに玄樹くんがいたらどんな感じだったんだろうなって考えてた。ジャニワ決まって局メ見て名前がなくて学校で泣いて。ここに入っていればって悔しい思い何回もしたけど、ジャニワ期間中、ガムシャラとかでバラエティ頑張ってる姿みて、まだまだ大丈夫だ、舞台が全てじゃないんだって自分に言い聞かせてた。あー!儚いね!アイドルだね!



エイトはとっても純粋に楽しめたなぁ。
降りて無になったからライブ自体を楽しめたんだろうな。
もともとコンサートの構成でバンドが多いのが嫌だったけど、勝手に仕上がれを聴いて、あぁ、これがエイトの答えなんだろうなって思った。答えがでたのは11歳になったからなのかもしれないね。




カウコンは言わずもがな!
もう連日の持ち上げられ具合見てるし、やっと自担出れる!って思ってたし入りたくてしょうがなくて暴れてたんだけど、見事に自分名義完敗で、落ちるに落ちまくってたら、救世主女神が舞い降りてきて、ありがたいことに入ることができました。

女神に
有難すぎてどうやって感謝すればいいのかわからない。感謝しても感謝しきれないとお伝えすると
「みさこさんが玄樹くんに沸いてるとこ見られたらそれだけでいいよ。」


女神すぎ、、、
入る前から涙が止まらない、、、



なのに!!!なーのーにー!!!!
なんで東京ドームどころか、なぜ日本にいないんだ!!!自担よ!!!
年越す直前まで諦めきれずに君の団扇持ってた私の気持ち!!!

でも私を構成している成分は「ジャニーズ」自体だから悔しいけどすごく楽しめちゃったよ!!!
片手にセクゾ5人の団扇持って、もう片方にはタンバリンペンラ持って、とんだクソDDだなおい!!!
勝利様の「来年も愛してやるよ」とズンドコ踊りで落とされかかったけど!(いや、もう落ちてた)
滝すばで喉つぶして満足して帰ってやったわ!!!ケッ!ジャニーズ最高!



極めつけはジャニーズワールドinMステ。

いやー。
現実で干からびてぶっ倒れてたら非現実キラキラ世界に無理矢理引き連れて行かされた感。
おかげさまでテスト期間の山場にも関わらず再生ボタン押す指が止まらない病にかかって、見事にオール。次の日ココハドコワタシハダレ状態(クズ大学生)
これが好きじゃないジャニオタなんていないよね。やっぱりヒロムは天才だよ…。



でね、推しにも会いに行って、
相変わらず天使で、
せっかくの人生の起点なるだろう20歳を素敵に祝ってもらいたい!って思いでレポート山盛り残ってるにも関わらず会いに行って無事祝っていただきました。よしっ!これで良い大人になれる!(自己暗示)




こんなんやってたら
結果、オタク辞めたくなったっていう面倒くさい大人になってしまってました。


よーっし!
今年はリア充になるぞー!


大倉担を降りた話。


前の記事をびっくりすることに竹中先生に読んで頂いたみたいでありがたいし申し訳ないしで初っ端から冷や汗書いたよ(笑)

感謝とお詫びの意を込めて今日、先生の本を買いに行こうと思います。




そんなこんなで
今日は大倉忠義くんの誕生日。
おめでとうございます。三十路ですね。


担降りから少し経ち、気持ちにも余裕が出来てきたので担降り記事を書きました。



2015年4月20日のツイート。





こんな感じで夜中に担降り報告した。
自分でもなんでこんなにあっさり報告できたのか結構謎。たぶん深夜のテンション。



担降りの理由も岩橋玄樹くんを1番に応援したくなったから。
本当なんだけどやっぱりエイトの流れについていけないと思い始めたからでもある。


このツイートの数日前に夏のツアー、リサイタルが発表された。最初TLを見て、おっ!今年も夏あるんだ!日程日程〜♪と詳しく見てみると地方だけ。狭い会場。



関ジャニ∞って何を目指してるんだろう…?



単純にこう思いました。
少し前には世界へ行きたいとか言ったり。
近く(アリーナ)なのか世界なのかハッキリしろよ!と。



そりゃ始まればある程度楽しいに決まってる。でもそれって当たり前じゃん。それなりのお金取って会場作ってコンサートするんだから。天下のジャニーズ様なんだから。


でも私が求めてる関ジャニ∞ってこれじゃない!


そう思ってもともとモヤモヤしてたエイトに対しての気持ちがまた下がっていった。

なんでこんな話担降り記事でするんだよ!ってなるよね。




私が大倉担になったのはおそらく2009年の連ドラROMESから。成嶋さんです。


その時期にテレビでPUZZLEツアーDVDの特典のBabunドッキリの映像が流れてた。
すごく面白そうだったから当時関ジャニ∞にそこまで興味が無かったもののらそのドッキリ観たさにすぐにAmazonでポチりました。
期待通りの面白さで満足したんだけど買ったからには本編も観なきゃなー…と思って本編を観ました(笑)
普通に楽しめた。実際入ったら絶対楽しいんだろうな、で大倉くんかっこいいなって思いながらROMESが始まってそのまま大倉担になってた。



今考えてみればこの頃から「大倉忠義」が好きっていうよりも「関ジャニ∞大倉忠義」が好きだったんだなーと思った。
関ジャニ∞の雰囲気とかコンサートが好きだった。
関ジャニ∞が好きで、その中の1番は?って聞かれたら間違いなく大倉くん。

それでそのまま6年経ってた(笑)



だからこの人!(担当)っていう人が現れなかったからこんなにズルズルと大倉担名乗ってたんだと思う。
大倉くん好きになった頃は大倉くんが考えてるアイドル像と私の好きなアイドル像ってたぶん一緒だったと思う。
でもここ一年ぐらいでそれは崩れたなぁ、たぶん。でもさ、十祭東京2日目の大倉くんの挨拶聞いて
あーやっぱ一緒だったなー。
って思ったんだよ。なのにいんすったーとかさ、ライブの構成とかさぁ、はぁ…まじで自分でも何が言いたいのかわからなくなってきた。




それで玄樹くんっていう存在をいつの間にか気にし始めてて、気付いたら観ててすっごい幸せな気持ちになれてた。ステージで踊る玄樹くんが私の好きなアイドル像そのままだった。



そこで知る人ぞ知る、担降り詐欺を2013年の春にしました…(笑)
あれはほんとにただの勢いだった!何も考えないで口走った!w

結局エイトも8周年から盛り上がってるからエイターをやめられず…謎の敵と戦ってる気分だったよパトラッシュ…
なんてったってばたふらあぁぁいも見れてしまったし…




なんかね、もっと言いたいこといっぱいあるの。でも流石に6年分かくと終わらないしたぶん私力尽きちゃうからね。



でも本当に1番良かったのはさ、
エイターの友達もたくさんできて楽しすぎるヲタ会もたくさん参加して本当に楽しい6年間だったってこと。
自分でもエイターになってから初めて一人で遠征したりネットからの方と仲良くなったりしたから本当にエイトのおかげで今の行動力が身に付いたなって!ヲタク形成!感謝感謝。

たぶんこの行動力なかったら上京もしてなかったと思う。元々は親にぴったりくっついて行動するようなカスだったし。




うん、だから今は2年前の担降り詐欺とは違って本当に「大倉忠義担」自体に未練は無いし結構スッキリしてる!(エイトには結構未練あるけど…笑)



いまのJr.もかなり勢いあるし応援しがいあるからたとえ玄樹くんじゃなかったとしても次のデビューがどうなるのか近くで見ていたいんだよね。


あとあんまり表に出してないんだけど、
Sexy Zoneに沼ってます(笑)
これもまたのちに。
いま、関ジャニ∞の行く先について
Sexy Zoneの素晴らしさ
橋玄樹のアイドル性
っていうネタがあるのでw




こんな感じでなんか誕生日なのにテンション下がるようなのアップしちゃってごめんなさいw

ちょうどいい区切りだし許して!





では素敵な大倉バースデーをお過ごしください!

ゆるパッセンがPASSPO☆への重い気持ちを語ってみた


今となっては私のフォロワーさんにPASSPO☆のファン、「パッセンジャー」はほぼいないのにつぶやき続けているので全く興味のない方には申し訳ない。
いまさら別アカとか作るのがめんどくさい←
クルー(ぱすぽメンバーのこと)にもフォローしてもらっているし。



でも!
こんなに丁寧に書くのには理由がある。
ただの布教活動です。
私はPASSPO☆はもっと上に行ける力、売れる可能性があると思っているから。



PASSPO☆は2011年にメジャーデビューした空と旅をテーマにした現在8人組のガールズロックユニット。

この時点で個人的に私の好みど真ん中なんです。
何と言っても楽曲の良さがハンパじゃない!誰もが親しめるロック調とキラキラしたアイドルの歌声!しかもそこそこ上手い!私のPASSPO☆の一番好きな所はは楽曲の良さです。




私がPASSPO☆を知ったキッカケはデビューした2011年5月のCOUNTDOWNTV。

その当時私は毎週番組を録画していた。いろんな音楽や流行りを知りたかったのでゲストとか関係なく純粋にランキングを楽しみに観ていました。
とは言っても何かしながらほぼ無意識に流し耳でって感じです。



で、その週のランキング第1位、それがデビューシングル「少女飛行」だったのです。

なんとなく聴いただけで直感でピンときて画面に目をやるとかわいいCA風の衣装でおもしろい振り、フォーメーション、そしてキャリーバッグを引いて踊るかわいいアイドル達。速攻ネットで簡単な情報を入れフルで聴きました。(なぜ知らないアイドルが1位になったのかもここで知る。要は形態。)



あー!めっちゃ好きだわ!!!

翌日ツタヤにCDを買いに直行。
でもマイナーだからか置いてない!
そこから何軒が回ってやっと増井みおジャケverの少女飛行を手に入れました。



って感じでわたしのゆるパッセンとしての日々が始まりました。



この通りまだまだマイナーな感じなのでテレビでの露出がたくさんあるわけでもなく、ライブで地元に来るわけでもないのでジャニーズやAKBのように熱中することができずネットで情報や新曲をチェックしたり、YouTubeで動画をみたりTwitterでクルーをフォローする程度しかしていませんでした。




こんな感じでゆる茶の間パッセンを楽しんでいたそんな2012年夏。
テレビを観てたら地元ローカル局NSTが主催しているイベント「NSTまつり」の告知が流れていました。毎年そこそこ有名なゲストが来ています。それでゲスト紹介の画面でパッと映った見覚えのあるアーティスト写真。



うおっ!?!?まさかのぱすぽ☆ちゃん来るんですけど!!!!まじですか!!!会いに行けちゃう!!!(キモヲタ全開)



嬉しすぎて暴れて母に怒られました。
まあ東京に行けばそこそこ合えるんだろうけどぱすぽ☆に会うために遠征するほどの熱量もお金も無かったので(エイトが1番だったし)この時は来てくれることで会えることがとても嬉しかったんです。


そして当日、会場に行きフライト(ライブのこと)初体験をしました。

もう驚くほど楽しい。曲も全部知っているので周りにいたパッセンに合わせてコールをする。大好きな振りも一緒にできる。1部と2部あったので両部とも参加しあっという間に楽しい時間を過ごすことが出来ました。

そして初めて特典会に参加しみおちゃんと握手しました。かわいい、かわいい、かわいい。緊張して涙目になる。

こんなにぱすぽ☆のフライトがクルーが素晴らしいなんて感動してさらに好き度が上がりました。




それから嬉しいことに
チャーター便ツアー(CDにライブチケットが付いている形)として新潟に2013年春と夏に来てくれました。もちろん参加して短めのフライトを楽しみ握手したりツーショットを撮ったりサインを貰ったりして女性アイドルの距離の近さによる楽しみを知りました。



でも会える時期以外はゆるパッセン。現場の楽しみを知ってしまった以上、会えない時期は興味が薄れます。



そこでまた何となくPASSPO☆をみていると2013年後半から2014年にリリースして行くシングル、アルバムに
「Growing Up」「Perfect Sky」「I」「無題」「向日葵」
という曲たちがあった。
これは全てPASSPO☆の過去やいま置かれている状況、挑戦、想いというのがテーマになっている曲。

リリースのたびにクルーや振付師である竹中夏海先生などが曲についての経緯や想いをTwitterなどで呟いていました。
でも私にはその話があまり響いて来なかったんです。



なぜかというと私はPASSPO☆を表面上でしか応援できていなかったから。まあただゆるくっていうことなんだけどPASSPO☆の苦しみとかをあまり知る機会が無かった。

リリースは少女飛行以来一度も1位を取れていない。ましてや2枚目の「ViVi夏」が3位、それ以降3位以内に入ることはなく順位は2桁なこともあった。
それがPASSPO☆というグループにはだいぶ重荷だったらしい。ていうかそりゃあそうだよねってなるんだけど…。



私はランキングが何位だろうとPASSPO☆のキラキラした曲やパフォーマンスが大好きだったから、何て言うんだろ、言い方は悪くなるけど病み曲みたいな。そういうのが受け入れられなかったんです。


ここで注意して置かなければなんですが上にあげた曲は良い曲だしすべて今となっては大好きですよ!PASSPO☆とって大事な曲だってちゃんと理解しています。


だからゆるパッセンな私から見たらPASSPO☆最近、暗いなー…。といった感じで。それこそ少女飛行みたいなキラキラが好きな私にとっては聴きたいな、欲しいなっていう気が出てこなかった。いつだってアイドルにはキラキラしていてほしい。
だから私は2014年上京したにもかかわらずPASSPO☆の現場には行く気が起きませんでした。




そんな風に思っていた中2014年9月に飛び込んできたニュース。

クルーの奥仲麻琴が2015年1月1日のツアーラスト公演にて卒業。



これは本当に衝撃でした。奥仲麻琴ちゃん、通称まこっちゃんはグループの中で1番メディア露出があったクルーです。仮面ライダーにヒロイン役で出演したりとPASSPO☆を引っ張っていってくれる存在でした。



これは流石に見なきゃダメだ!と思い2015年元日のTDCホールで行われるツアーラストのチケットを取りました。これはヲタクの悪い癖、ほぼほぼ「使命感」に駆られての行動です。


当日まで冷め期にリリースされた曲を軽くチェックしていました。そこで何となく思ったことは
きっとこのツアーラストが私にとってのPASSPO☆の現場ラストになるだろうな。
と。実際に呟いたりもしていた



2014年12月23日(火)
もう来週でそっちの現場は終わりかなと。まこっちゃんの卒業は見ておきたいし私が大好きだった頃の曲も全部見れるから行くけどほんとそれがあるから行くってなってる。
posted at 13:16:48



冷めてる〜!


そして当日。
「新年だよ!5周年とすこし便〜全曲忘れず踊れるかな〜」
と言う公演名の通り、まこっちゃん卒業ということにプラス、過去に出した楽曲すべてをやるという、終わってみれば6時間半にも及ぶとても内容の濃い公演でした。


公演時間は発表されては無かったものの全曲だし長丁場になるだろうな、足腰持つわけないな、と思いチケット申込みの時点で座れるバルコニー席を取ってました。
席は3階の3列目、過去の現場からすると遠いなといった印象です。
相変わらずのルーズさでたしか数十分遅れで開演した。



1曲目、少女飛行。
私にとっては約1年半ぶり。あぁ楽しい。久しぶりのフライトだー!とうまいこと気持ちは一気に高まりました。
そこから大好きなキラキラした楽曲とダンスが見れる喜びを噛み締めていました。
32曲目からはThe Ground Crewという生バンドも参加してのパフォーマンス。
クルーもパッセンも一気に変わる更に高揚する空気感。
あぁこれが私がPASSPO☆を好きな理由なんだなって思った。



そして終わりが近づく本編ラストの64曲目。「TRACKS」。
これはいわゆる、まこっちゃんの卒業歌。
曲前にまこっちゃんからパッセンとクルーひとりひとりに対するメッセージ。正直まこっちゃんに対する印象がガラリと変わりました。これを書くとまた時間がかかるから簡単に言うとまこっちゃんめっちゃいいやつ!!←


そして曲が始まると同時に
まこっちゃんのメンバーカラー、ピンクのサイリウムで埋め尽くされた会場。

ご察しの通り私はもう、
(´TωT`)(´TωT`)(´TωT`)こんな感じでボロボロ。
人生初のアイドルの卒業という場面に立ち会ったけどこんなにすごい空間になるとは。

ボロボロで腰痛もピークになりながらもこれまた感動的すぎるアンコール5曲をみて公演は終わりました。



この日から数日間私の脳内はPASSPO☆だけで埋め尽くされました。これはツイートにも表れている。

こんなにPASSPO☆に惹かれつつもそれでもこの時点ではもう現場には行かないと言い続けていました。なんでだろう。




そして3月末にこのフライトのDVDが発売されました。(今の時代にBlu-rayではなくDVDだけの発売という無能さをひしひしと感じるね)
早速ぶっ通しで観て蘇るあの日の感動。


あぁもうだめだ、PASSPO☆これからも応援したい、ついて行きたいなー。
純粋にそう思っていたので現場行かないという意味の分からない意地はここで捨てました。

そして先日女性限定イベントに参加してました\(^o^)/笑


もうこの辺で終わりにしたい…
ヘトヘトだ〜。でもこのままだと言いたいこと半分も言えてないし想いというかただのわたしのパッセン人生語っただけじゃん…
だから記事分けます。そのうち書く。

はじめました



最近呟きに小言が多くなってきた。
評論家気取りのBBAと叩かれたくないので
作りました←


主にジャニーズとPASSPO☆について
書いていきます。


説明の通りただの自己満です。


もし読んでくれる方がいましたらありがとうございますそして申し訳ございません。